千葉地方裁判所 昭和43年(ワ)569号 判決 1971年8月04日
原告
畑山義文
同
日本社会党千葉県本部
代理人
藤田一伯
内野経一郎
小長井良浩
葉山岳夫
近藤勝
被告
千葉県
代理人
新垣進
外二名
主文
一、被告は、原告畑山義文に対し金六〇万円およびこれに対する昭和四三年八月二八日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二、原告畑山義文のその余の請求を棄却する。
三、原告日本社会党千葉県本部の請求を棄却する。
四、訴訟費用は、原告畑山義文と被告との間に生じたものはこれを一〇分しその七を原告畑山義文の、その余は被告の各負担とし、原告日本社会党千葉県本部と被告との間に生じたものは原告日本社会党千葉県本部の負担とする。
五、この判決の第一項は、原告畑山義文において金二〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求める裁判
一、原告ら
1 被告は、原告畑山義文に対し金二八〇万円、同日本社会党千葉県本部に対し金一四〇万円、およびこれに対する昭和四三年八月二八日から右完済に至るまで年五分の割合による各金員を支払え。
2 被告は原告両名に対し、東京都において発行する朝日新聞、読売新聞、毎日新聞およびサンケイ新聞第一社会面記事下広告欄において縦二段横一〇センチを使用し、別紙記載の謝罪広告をせよ。
3 訴訟費用は、被告の負担とする。
との判決ならびに仮執行宣言。
二、被告
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
との判決。
第二 当事者の主張
一、原告ら
(請求原因)
1 当事者
(一) 原告畑山義文(以下原告畑山という)は、昭和四三年八月当時原告日本社会党千葉県本部(以下原告社会党県本部という)傘下の下部組織である同本部野田総支部長であり、千葉県野田市市議会議員、キッコーマン醤油労働組合執行委員の地位にあつた。原告社会党県本部は、日本社会党の全国組織である同党中央本部の政治指導下にある政治団体であるが、それとは別個独立の組織体を有し、独自の組織活動を行つている権利能力なき社団である。
(二) 被告は、普通地方公共団体で千葉県警察を設けてこれを管理運営し、野田市地域には野田警察署を置いて警察事務を処理しているものであり、昭和四三年八月当時の野田警察署長は花沢義雄であつた。
2 本件名誉毀損行為の発端となつた事実
(一) 昭和四三年八月二二日午後七時ころ、千葉県野田市上花輪八二四番地高梨晴夫方前路上において、自転車で通行中の中学二年生吉田春子(当時一四才)が、反対方向から酒に酔つて自転車に乗つて来た男に呼び止められ立話し中、突然その男に抱きつかれて無理矢理キッスされるという強制わいせつ事件(以下本件強制わいせつ事件という)が発生した。
(二) 被害者の母吉田秋子は被害者から、右事件発生の頃、付近に住む飯島半次が現場を通行したと聞き同人宅に電話し、同人の妻を介して同人から犯人は原告畑山らしいとの話を聞いて、同原告の犯行と速断し、翌二三日野田警察署長花沢義雄(以下花沢署長という)に対し、原告畑山を被告訴人として右事件を告訴するに至つた。
(三) 花沢署長は、右告訴を受理し署員を指揮して事件の捜査を進め、同月二六日には原告畑山の任意出頭を求めてその取調べを行つたが、翌二七日に至り本件強制わいせつ事件は山田夏男の犯行であつて、原告畑山は事件と全く関係ないことが判明した。
3 本件名誉毀損行為
(一) 花沢署長は、本件強制わいせつ事件が山田夏男の犯行であることが判明した日の前日の昭和四三年八月二六日午後九時ころ、朝日、サンケイ、読売、毎日等各新聞およびNHKの報道各社記者宅に自ら電話し、原告畑山が本件強制わいせつ事件の犯人ないし嫌疑濃厚であるとして、その捜査経過を発表した。
(二) その結果、右発表を取材源にして翌二七日付朝刊の右各新聞および同日のNHKラジオ放送は一せいに、原告社会党本部野田総支部支部長、野田市議会議員である原告畑山が、本件強制わいせつ事件の犯人であるという印象を与える内容の報道を千葉県一円に行つた。すなわち、朝日新聞は「女子中学生にいたずら
野田 酔つた社会党の市議」、サンケイ新聞は「野田市議、少女にいたずら
市会も真相糾明へ」という見出しのもとに、本件強制わいせつ事件の内容と、前記地位にある原告畑山が野田警察署において同事件につき任意取調べを受けたこと等の記事を掲載領布し、その他の報道各社も概ね同趣旨の報道をした。
原告らは、花沢署長の発表に基因する右報道により、その名誉と信用を著しく毀損された。
(三) ところで、原告畑山は前記のように本件強制わいせつ事件と何ら関係がないばかりでなく、花沢署長の発表段階における捜査結果によるも、同原告は容疑事実を確定的に否認しており、被害者や目撃者の供述も全体として極めてあいまいで信憑性に乏しく、殊に重要な物的証拠である犯行当時犯人が所持していたという盆栽の行方や、原告畑山のアリバイ、足取り捜査等も未だ進展していなかつたのであるから、同原告の容疑は到底濃厚といえる情況ではなかつたものである。
およそ捜査官は、犯罪捜査の経過や結果の発表にあたつて不当に個人の名誉を害することは許されないところであるから、発表すべき事実は真実に基づくことが前提とされ、仮に発表後において結果的に事実でないことが判明したとしても、発表段階においては、捜査官として必要にしてかつ当然なし得べき捜査を尽し、当該個人が犯罪を犯したことの容疑極めて濃厚であるという主観的にも真実に合致する状況が存在するのでなければ軽々しく発表すべきものではない。
しかるに花沢署長の前記発表は、前記のように周到な捜査を遂げた結果ではなく、未だ十分な裏付けの証拠もなく、また積極的に原告畑山の犯行と思料し得る証拠も存在しない捜査過程の段階において、しかも深夜署長公舎からわざわざ記者宅に電話で発表しているものであり、その発表の背景には政治的意図さえ窺われるから、同署長に故意または重大な過失があることは明らかである。
4 被告の帰責事由
花沢署長は、被告の設置した野田警察署の署長であり、警察署長の報道機関に対する犯罪事件に関する発表は公権力の行使にほかならないから、被告は右公権力を違法に行使した花沢署長の前記名誉毀損行為に基づく原告らの被つた損害を賠償する義務がある。
5 損害
(一) 原告畑山は前記のように当時原告社会党県本部野田総支部支部長、野田市議会議員等社会的評価の極めて高い地位にあるものであるが、右のような地位にある者にあるまじき破廉恥行為をしたという真実に反する発表がなされ、それに基づく報道がなされたことによつて、その社会的評価としての名誉は著しく傷つけられ、その受けた精神的打撃は極めて大きい。特に野田市という多少因習的な地方都市における市議会議員にとつて、右のような報道がなされたことは政治的致命傷を受けたに等しく、同原告は事件後に行われた市議会議員選挙に立候補を断念するまでに至つた。右事情と本件名誉毀損行為の動機、態様等諸般の事情を考慮すれば、その精神的苦痛に対する慰藉料額は金二〇〇万円が相当である。
(二) 原告社会党県本部は、国会の場において野党第一党の地位にある日本社会党の千葉県を活動の中心とする地方組織として、同党が政権を獲得しその政治理念を達成するため、日常国民に対して同党の政策や方針を訴え、国民多数の支持を得ようと懸命に努力しているものである。しかも本件当時は昭和四三年七月七日に行われた参議院議員選挙において、日本社会党が惨敗し、その再建に苦吟していた折であり、また当時の野田市政界は、市長が社会党員で同市議会は少数与党であつたため、与野党が激しく抗争し、議会運営に困難を極めていた時期であつた。このような政治情勢下において、同原告の下部組織である野田総支部支部長で、市議会議員という党を代表する地位にあつた原告畑山が本件強制わいせつ事件の犯人であるという虚偽の事実が、千棄県下に広く報道されたことにより、日本社会党は、同党に対して国民が抱いていた社会主義政党としての清潔なイメージをそこなわれ、国民の同党に対する信頼関係を減退させられるとともに、同党に対する支持率を低下させて選挙によつて獲得し得る票数を減少せしめられるという無形の損害を被つた。右無形損害は地域的にみれば、千葉県を活動の中心とする原告社会党県本部の被つた無形損害ということができる。しかして、同原告は本件名誉毀損行為によつて低下した党の信頼度回復のため、莫大な労力と宣伝費を費いやさざるを得なかつたのであるから、右無形損害に対する賠償額は金一〇〇万円が相当である。
なおいわゆる権利能力なき社団に対しても、法人と同様社会的評価の侵害は存在するから、その無形損害の賠償が認められるのは当然であり、また無形損害としての政治的損害に対しても法律上金銭的評価が可能であることはいうまでもない。
(三) 本件名誉毀損行為後原告畑山の冤罪であることが広く報道されたとはいえ、その後においても真犯人は同原告の替玉であるとの噂が立てられるなど依然償い難い名誉毀損の状態が存続しており、そのうえ本件名誉毀損の動機、態様、原告らの社会的地位等を考えれば、原告らの名誉回復は明らかに前記金銭賠償だけでは不十分である。したがつて原告らのため当該報道がなされた各新聞に別紙のような謝罪広告を掲載させることが最も適当な名誉回復の方法である。
(四) 原告らは、本訴提起に際して原告ら代理人に対し、日本弁護士連合会報酬等基準規程(昭和二四年日本弁護士連合会会規七号)に基づき、弁護士費用として原告畑山が金八〇万円、原告社会党県本部が金四〇万円をそれぞれ支払う旨約した。右金員は原告らが本件名誉毀損によつて被つた損害である。
6 結論
よつて被告は原告らに対し、原告畑山に対しては金二八〇万円、原告社会党本部に対しては金一四〇万円、およびこれらに対する本件名誉毀損のあつた翌日である昭和四三年八月二八日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、請求の趣旨(前掲原告らの求める裁判)第二項記載のとおり新聞紙上に原告らの名誉回復のために必要な謝罪広告の掲載を求める。
二、被告
(答弁)<以下略>
第三 証拠関係<略>
理由
一、当事者
<証拠>を総合すると、原告畑山は昭和四三年八月当時日本社会党党員であつて、原告社会党県本部の下部組織である同本部野田総支部支部長の役職にあり、千葉県野田市市議会議員(この点は当事者間に争いがない)、キッコーマン醤油労働組合中央執行委員の地位にあつたこと、原告社会党本部は日本社会党の全国組織である同党中央本部の政治指導下にあつて、千葉県を活動の中心とし千葉県下の党員で組織された政治団体であり、固有の規約に基づいて、独自の議決機関と執行機関を有するいわゆる法人格なき社団(権利能力なき社団)であることがそれぞれ認められ、請求原因1の(二)の事実は当事者間に争いがない。
二、名誉毀損の成否
1 請求原因2の(一)ないし(三)の事実は当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると次の事実を認めることができる。
本件強制わいせつ事件の発生は、昭和四三年八月二四日ころ一部新聞記者に感知され、そのころから野田警察署等において報道各社の取材活動が行われるようになり、同月二五日付千葉日報新聞には、同署が目撃者の話しから野田市市議会のA議員のしわざではないかとみて捜査を始めた旨の記事が掲載された。
野田警察署は同月二六日、原告畑山の任意出頭を求め取調べを行つたが、当時野田市記者クラブ幹事であつたサンケイ新聞野田通信部記者堀越宗一が電話で数回同署に原告畑山の取調べ結果につき取材を求めてきた。しかし、花沢署長は未だ取調べ中などの理由で取材に応じなかつたところ、同記者から、もし右取調べ結果により原告畑山の犯行であることが判明したらすぐ連絡してくれるよう要請を受けた。当日はまた野田市市会議員篠塚義正から、同じ社会党の市議として心配している旨花沢署長に対し問い合わせがあつた。
同署長は、同日午後八時ころ、当日取調べた原告畑山の供述や右取調べの際行つた被害者の面通しの結果、それに当日までの目撃者等参考人の取調べ結果を総合して、原告畑山の容疑濃厚であると判断し、強制わいせつ事件は警察署長の指揮事件でありこの場合の事件の公表権限は警察署長に属していたので、右権限に基づき公益面や報道機関の使命に応え、先の堀越記者の要請に応じるとともに本件強制わいせつ事件の取材活動に当つている他の各社記者にも事件の捜査情況を公表するのが相当であると考え、まず堀越記者宅に署長公舎から警察署交換を通じる電話で、原告畑山の地位身分には触れずに、同原告は取調べに対し犯行に一番近い時間帯に犯行現場付近を通つていながら現場を中心とした行動については記憶がないといつて答えず、その反面その前後の行動については供述しているなど全体として非常にあいまいな供述をしているので容疑が濃い、畑山の犯行に間違いない旨発表し、次いで同日午後八時三〇分ころから九時ころまでの間に、サンケイ新聞の堀越記者を除く原告ら主張の報道各社記者宅にそれぞれ電話し、堀越記者に対すると略同内容の発表を行つた(発表の日時、その形式、発表の相手方については当事者間に争いがない)。
報道各社記者は、本件強制わいせつ事件が原告畑山の犯行とすれば、原告社会党県本部野田総支部支部長で市議会議員という社会的地位にあるものの破廉恥行為として、その社会的反響も少くなく、報道価値があるとの考えから捜査の成行きに強い関心を持つていたが、確かな情報を入手できず記事にするのを差し控えていたところ、花沢署長の発表があつたので、直ちに独自の調査結果も混えて記事を執筆、送稿し、その結果右各新聞の翌二七日付朝刊は、それぞれ「女子中学生にいたずら、野田、酔つた社会党の市議」(朝日京葉版)、「野田市議、少女にいたずら 市会も真相糾明へ」(サンケイ千葉版)、「強制わいせつ取調べ野田の社会党市議」(千葉毎日)、「畑山野田市議取調べ 女子中学生にいたずら」(千葉読売)、「市議、女子中学生にいたずら野田の出頭求め調べる」(東京)という見出しで(サンケイ、読売は原告畑山の顔写真入り)、本件強制わいせつ事件の内容とともに、野田警察署は同月二六日社会党野田支部長(サンケイは野田支部副幹事長)、市会議員の原告畑山を任意取調べた(各紙共通、但し、東京は氏名は伏名で、その所属党や党内の地位については言及していない)、原告畑山は酔つていてわからなかつた旨弁解しているが、野田警察署では有力な目撃者がいることなどから確信をもつて捜査している(朝日)、あるいは近く書類送検の見込み(千葉毎日)、取調べの結果同市議の容疑が濃くなつた(東京)、市議会で真相糾明に乗り出した(サンケイ、東京)等の記事を掲載領布し、また、同日朝六時ころのNHKラジオ放送も本件強制わいせつ事件に関し(その具体的内容は明らかでない)放送した。
ところで当時は、同年七月七日の参議院通常選挙で日本社会党が全国的に振わず、その再建に党が苦悩していた折りであり、また野田市では社会党出身の市長のもと少数与党の社会党と野党の自民党が激しく抗争し、議会運営が困難をきたしていたころで、もし本件強制わいせつ事件が原告畑山の犯行とすれば、これが及ぼす政治的影響は少くないものがあつた。
以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分は信用することができず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
以上認定した事実によれば、花沢署長の報道機関への発表は公訴提起前の人の犯罪行為という公共の利害に関する事実を同種犯罪の予防、善良な市民への警告等専ら公益を図る目的で発表したものであるが、結果的に真実に反し、原告畑山の容疑事実として本件強制わいせつ事件の内容および捜査情況を発表したものというべきところ、NHKラジオ放送の放送内容は明らかでないし、東京新聞は原告畑山の氏名および所属政党を伏せており、また朝日、サンケイ両紙を除くその他の各新聞記事も、記事全体の印象からすると原告畑山の容疑事実として事件を報道しているというよりは、単に同原告を被疑者として取調べたという真実の事実を報道しているにすぎないものとみることができるから、右各新聞記事や放送については本件名誉毀損の成否を判断する前提とはなし得ない。
ところが朝日、サンケイ両紙の記事については、記事本文自体は他の各紙と概ね同趣旨の内容であるが、その見出しはいずれも断定的に原告畑山の容疑事実として事件を報道していることは明らかであり、新聞記事の一般の読者は記事の大きさや見出しの記載によつて最も強く印象付けられ、これによつてその記事全体の文意を把握するのが通例であるから、右両紙の記事は一般読者をして本件強制わいせつ事件を原告畑山の容疑事実として印象付けるに足るものと思われる。
そして、容疑事実の存在に関する右記事は、表現こそ違え花沢署長の発表とほぼ同趣旨のものと認められるうえ、原告畑山の身分関係については同署長が発表において触れなかつたところのものであるが、それが右記事の内容となるであろうことは当然発表段階において同署長の予見し得た事柄であるから、右各記事はいずれも花沢署長の発表と相当因果関係の範囲内にある事実と認めることができる。
2 しかして、朝日、サンケイ両新聞に掲載された記事内容は、これを読む一般読者に対して、原告畑山が原告社会党県本部野田総支部支部長、野田市市議会議員という社会的地位にありながら、女子中学生にいたずらするという極めて破廉恥な行為を行つた者であるとの真実とは異なつた誤つた印象を与えることは明らかであり、同原告が右のような行為をしたとの虚偽の事実が広く流布されることによつて、その社会的評価としての名誉は当然低下すると考えられるから、花沢署長の発表は右記事を通じて違法に同原告の名誉を毀損するものというべきである。
3 次に、原告社会党県本部は前記認定のとおりいわゆる法人格なき社団(権利能力なき社団)としての性格を有するものであるが、このような社団もその構成員から独立して社会的活動をなし、社会上の地位または価値を有するものであるから、違法にその社会的評価を毀損されない利益を有する。しかして原告社会党県本部は、国政の場において野党第一党である日本社会党の政治理念の下に千葉県下の党員によつて組織された政治団体であり、政党は理念的にはその掲げる政策によつて国民の支持を得ているものであるが、国民から清潔で、健全な、良識のある政党であるとの認識に基づく信頼がなければ広くその支持を得ることの期待できないことはいうまでもなく、日本社会党したがつて地域的には原告社会党県本部が右のような信頼関係に集約された社会的評価を有することは公知の事実である。そして右社会的評価は、結局党の活動家の日常活動に対する評価であり、その反映にほかならないものであるところ、本件においては前記認定の如き野田市政界の政治情勢下、原告社会党県本部の下部組織である野田総支部支部長で市議会議員という地方の党の指導的地位にある原告畑山が、破廉恥罪を犯したという印象を一般の読者に与える記事が原告社会党県本部の活動の場である千葉県下に広く流布されたのであるから、右記事が原告畑山の私行に関するとはいえ、直接的に一般読者に対し、日本社会党は必ずしも清潔で健全な良識のある政党ではないとの悪印象を与え、これによつて当然国民の信頼がある程度減退するものと考えられ、したがつて、花沢署長の発表は新聞記事を通じて原告社会党県本部の社会的評価を違法に毀損するものといわざるを得ない。
三、故意、過失の有無
1 花沢署長は公共の利害に関する事実を専ら公益を図る目的で発表したもので、これにつきとくに政治的意図があつたとも認められないことは前記のとおりであるから同署長が署長公舎からわざわざ記者宅に電話をかけて発表したからといつて、このことだけから同署長に本件毀損についての故意があつたということはできない。そして前記認定の同署長の発表経過に照らすと、同署長はその発表にかかる事実が記事に掲載されその結果原告らの名誉が害されるに至ることを知つていたか少くとも知り得べきであつたと認めることができるけれども、その発表段階において原告畑山が本件強制わいせつ事件と全く関係がないことを知らなかつたものと認められるから、真実に反する内容を発表することにつき認識を欠くものというべく、本件名誉毀損行為について故意による責任を問うことはできない。
2 そこで、次に過失の有無について判断する。
捜査官において、捜査中の事件といえども公益を図るためその被疑者とともに事件の内容を公表する必要のある場合があり、かかる場合には被疑者の名誉を不当に害することのないよう慎重な記慮が望まれるが、一般に犯罪捜査の段階は、捜査官の主観的な嫌疑がその裏付けとなる証拠の集取によつて漸次客観化されて行く過程であるから、この段階で客観的な真実の公表を捜査官に求めるのは難きを強いるものというべきである。したがつて、発表が結果的に真実に符合しない場合であつても、捜査官が犯罪捜査に当つて通常払うべき注意を尽し、周到な捜査を遂げ、その結果得られた捜査資料によれば、被疑者の嫌疑が極めて濃厚で、右のような間違いも無理からぬものと客観的に認め得る場合、すなわち発表当時、当該被疑者について容疑事実の存在を信ずるにつき相当の理由があるときは、搜査官は、被疑者が事件の犯人である、あるいは嫌疑濃厚であると判断しその旨を発表することには過失がないものと解すべきである。
これを本件についてみるに、証人花沢義雄の証言によれば、花沢署長は発表段階におけるそれまでの捜査結果に基づき、被告の答弁3項記載の各点から原告畑山の容疑濃厚であると判断し、その旨発表したものであることが認められるところ、<証拠>によれば、花沢署長の発表段階までの捜査情況および捜査結果は次のように認められ、右認定を覆すに足足りる証拠はない。
(Ⅰ) 野田警察署は、事件当夜被害届出を受け、その翌日から花沢署長の指揮のもとに次項以下に記すとおり、被害者関係、目撃者関係、現場関係等の捜査をし、八月二六日には被告訴人である原告畑山の任意出頭を求めてその取調べを行ない、その供述の裏付捜査をすることともに右取調べの際被害者に面通しさせる等の捜査を実施した。
(Ⅱ) 被害者の母吉田秋子は、事件直後被害者吉田春子から飯島半次が現場を通り合わせたことを聞き知り、同人宅に電話をかけ犯人の心当りを問い合わせたところ、同人の妻飯島あきを通じて「その男の人は市会議員の畑山という人で女の人は畑山の彼女だと思つた」という返答があり、さらに翌二三日飯島方を訪ね飯島あきに念を押したところ、「主人は畑山が彼女とデートしていると思つた」といつた旨供述している。そして同女は、右目撃者の話から原告畑山を犯人として告訴した。当の飯島半次は、妻には市会議員の畑山のような感じだつたと話したものであり、畑山と似ていると思つたが同人とは断定できない旨供述している。
目撃者飯島は原告畑山と勤務先が同じであるなど面識があり、モーターバイクで現場を三回通過し、そのうち一度は犯人の男に「今晩は」と声をかけられている。現場は道巾約四メートル位で時間的にもまだ明るく、被害者は現場を通る飯島や小沢よしを認めている。
(Ⅲ) 被害者吉田春子は面通し前、「犯人の男と三〇分位話していた、その男は見覚えのない男だつたが、まだ薄明るかつたので男の顔を良く覚えている」旨供述していた。そこで原告畑山を面通しさせたところ、当初は似ていないように思い似ていないと答えたが、取調べ官にどこか似ていないかといわれて二度、三度と見ているうち似ているように思えてきて、服装が白つぽくズボンが黒色ようで、目、眉毛、顔全体、背の高さ、坊主頭のような頭髪があの時の男とよく似ている、他人と違う点は犯人の声は低く重つたいように感じたが、畑山の声は軽く高いと答え、また原告畑山が出頭の際に乗つてきた自転車を提示されて、この自転車は犯人の男が乗つていた物に間違いない、荷台にある綱に見覚えがある、その特徴は荷台に綱があるほか、荷掛けが普通男用自転車の割に小型な点であると答えている。
(Ⅳ) 原告畑山の取調べは多少追及的な面もあつたが、同原告は、「事件当日の午後四時四〇分ころ工場を出て青山酒場という飲食店に入り、飲酒のうえ午後五時四〇分ころ店を出て中村屋という飲食店に入つて飲酒し、午後六時二〇分ころ店を出て帰宅の途につき野田警察署方面より野田橋の方に通じる道路から香取神社脇の道に入つたが、その後どのようにして家に帰つたか記憶がない。途中「今晩は」と声をかけたかかけなかつたかも記憶がないし、女の人と立話しをし女に抱きついてキッスしたかどうかも全く記憶がない。ただ途中沼尻某の奥さんに会つて挨拶したことだけを覚えている。家には午後六時三〇分か四〇分に着き、しばらくくつろいだ後明るいうちに近くの弟の家に行つた。なお当時の服装は白色開襟シャツ、ネズミ色ズボン、下駄履きで帽子は被らず、黒塗り普通自転車に乗り右手にグリーン色布製カバン一個を持つていた。自転車には前のハンドルに白色の籠、後の荷掛に白色と黒色のまじつた布を被つたゴムひもがついており、カバンには風呂敷に包んだ弁当箱等が入つていた」と供述している。
右供述について裏付け捜査したところ、原告畑山の弟は同人宅に事件当日の午後六時三〇分ころ同原告が訪ねて来たことを認めたが、沼尻某の妻は原告畑山と会つていないということであり、原告畑山の妻は帰宅時間を明答していなかつた。そこで原告畑山の工場から帰宅するまでの足取り捜査については翌日以降さらに実施する予定であつた。
(Ⅴ) 犯人は飯島方から貰つてきたと称して盆栽を所持していた旨被害者が申立ていたので、盆栽の行方、出所等の捜査を一応進めていたが、八月二六日までは何の手掛りも得られなかつた。翌二七日に至り右盆栽は被害者宅や飯島半次宅に近い野沢十一郎方で犯人の男にくれたものであることが解り、それが真犯人発見の端緒となつた。
以上認定した事実によると、目撃者飯島半次の供述は原告畑山と面識があることやその目撃状況からして一応の信憑性があるが、供述内容には不確かな点があり、その増強証拠というべき吉田秋子の供述も飯島あきからの伝聞であるから、右飯島半次の供述を過大視することは相当でなく、また被害者吉田春子の面通しの結果も、その供述過程や供述全体からすると供述があいまいで信憑性の高いものではなく、原告畑山の自転車を提示した結果についても、<証拠>(右自転車の写真)によると、同自転車はとりたてて特徴のある自転車ではないことが認められ、荷台の綱も同様特殊なものではないから、到底原告畑山の容疑を裏付ける決め手にはなり得ないものというべきである。そして原告畑山の供述は、なるほど全体としてあいまいであるとの印象を拭いきれないものではあるが、その供述の裏付け捜査の結果からみて、アリバイの成立を窺えないでもなく、さらに裏付け捜査を進める必要があることは明らかであり、何よりも重要な物的証拠である盆栽の聞込み捜査を重視し、より周到な捜査を遂げれば容易に犯人の手掛りを得られたことが窺われる状況にあることを考えると、花沢署長の発表段階においては客観的にみて未だ嫌疑濃厚と判断するに足るほどの捜査結果を得ていないものと認めざるを得ず、また右判断をなすについて必要な捜査を尽したものとも認め難い。
そうだとすれば同署長には、その指揮する捜査中の事件を公表するに当つて捜査官として当然なすべき注意義務を怠つた過失があるというべきである。
3 なお被告は、原告畑山が取調べに対し重要な部分についてあいまいな供述をしたことをとらえ、同原告には右の点で過失があつたと主張するが、前記認定の事実によれば、同原告は当時酒に酔つていて真実記憶があいまいだつたために、そのような供述をなすに至つたものと認められるから、同原告の供述があいまいであつたことをもつて同原告に過失があつたということはできない。従つてこの点に関する被告の主張は理由がない。
四、被告の責任
花沢署長は地方公共団体たる被告の設置した野田警察署の署長として警察事務の執行に当る公権力を行使する職員であり、同署長の報道機関に対する犯罪事件に関する発表は警察事務の執行にほかならないものと解するのを相当とするから、国家賠償法一条により被告は同署長の発表による名誉毀損によつて原告らの被つた損害を賠償する義務を負うものである。
五、損害
1 (原告畑山の慰藉料について)証人畑山りとの証言ならびに原告畑山本人尋問の結果によれば、原告畑山は花沢署長の発表に基づく前記内容の新聞記事が広く流布されたことにより、家族ともども肩身の狭い思いをし、また当時飲酒酩酊していたがため明確な申し開きも出来ず事件に捲き込まれるという事態を招いて、市議会や党に迷惑を及ぼすに至つたという自責の念にかられるなど多大な精神的打撃を受けたことが認められる。
そこで慰藉料額について検討するに、<証拠>によれば、右記事が掲載、頒布された八月二七日、真犯人は小川広志であり原告畑山は本件強制わいせつ事件と全く無関係であることが判明するに至つて、当日夜千葉県警察本部刑事部長から各社報道記者に対しその旨の発表がなされ、翌二八日付朝刊各紙が一せいに右新事実に基づいて原告畑山が冤罪であつたことを報道したこと(右報道がなされたことは当事者間に争いがない)、また同月二七日夜、原告畑山に対し野田警察署から車を差し向けるから来署して欲しい旨の連絡があり、同原告はこれに応じ同僚の社会党市議会議員一名とともに同署に行き、花沢署長と面談していること(同署長は事情を説明し、謝罪する趣旨で原告畑山の来署を求めたと思われるが、実際は同原告らの抗議に終始したようである)、もつとも原告畑山が本件強制わいせつ事件と無関係である旨の記事が流布された後も、週刊雑誌に「キッス魔にされた社会党市議会議員」(週刊現代)などと事件を興味本位に書きたてられたり、一般市民から一連の事件の経過をめぐつて、原告畑山が公然無実であるとしても市会議員たる者が厳然たる態度をとれなかつたところに誤報の出た一因があるというような批判が出され、あるいは真犯人は畑山の替玉であるとの噂が立てられるなどしたが、しかし現在ではそのような噂や批判を聞かなくなつたこと、同原告は事件後の昭和四五年五月の選挙に党の関係者から立候補するよう進められたが、酒に酔つていたことが事件に捲き込まれるに至つた原因と考え、立候補を固辞し現在に至つていること、同原告は現在原告社会党県本部野田総支部の副支部長の地位にあることがそれぞれ認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。右認定の事情に加え、本件名誉毀損の動機、態様、当事者の地位等本件にあらわれた諸般の事情、殊に後記のように謝罪広告を認めないことをも考慮すれば、原告畑山の被つた名誉毀損による精神的苦痛に対する慰藉料額は金五〇万円をもつて相当と考える。
2 (原告社会党県本部の無形損害の賠償について)原告社会党県本部が本件名誉毀損によつて被つた無形損害は、日本社会党したがつて地域的には同原告に対する国民の信頼の減退であり、換言すれば国民の支持の低下、より具体的には選挙における得票の低下をいうものと思われるところ、このような政治的損害は社会観念上金銭的評価が不可能であつて、到底その評価額の適正を期し難いものというべく、仮に法律的に金銭的評価が可能であつたとしても金銭賠償によつて填補されるに適さないものと考える。
したがつて、右無形の損害を金銭的に評価し、その賠償を求める同原告の請求は失当である。
3 (原告らの謝罪広告の請求について)証人篠塚義正の証言ならびに原告畑山本人尋問の結果によると、本事件後の野田市市議会議員の選挙において改選前より社会党議員の数が減つたとか、社会党の得票数が減つたとかの事実はなかつたことが窺われ、右事実と前記認定の五の1記載の事実を総合すれば、原告畑山の冤罪であることはすでに広く世間に周知され、現に原告らは従前と変らない社会的信用ないしは政治的信頼を博していると認めるに十分であるから、原告ら主張のような謝罪広告の必要はないものというべく、右請求は不相当である。
したがつて、原告らの右請求は理由がなく失当である。
4 (弁護士費用について)原告畑山が藤田一伯外三名の弁護士に本訴の提起とその追行を委任したことは記録上明らかであり、前記慰藉料請求認容額、被告の抗争の程度、本件事案の難易、その他本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告畑山の請求する弁護士費用のうち金一〇万円が本件名誉毀損に基づく同原告の損害と認めるのが相当である。
原告社会党本部の弁護士費用の請求については、同原告の無形損害の賠償請求および謝罪広告の請求がいずれも排斥された以上、その弁護士費用を本件名誉毀損に基づく損害と認めることはできないから、右請求は理由がない。
六、結び
以上のとおりであつて、被告に対する原告畑山の本訴請求は、金六〇万円およびこれに対する本件名誉毀損のあつた翌日である昭和四三年八月二八日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がなく失当として棄却し、原告社会党県本部の請求は理由がないので失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を各適用し、主文のとおり判決する。
(渡辺桂二 鈴木禧八 佐々木寅男)
別紙<略>